過去の
武豊騎手の落馬や骨折-----------------------------------------------------------------
武豊騎手を丸裸にする、データ分析特集!いよいよ開始です。
ブックマークに入れてしっかりと読んで下さい。
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最近の武豊騎手のG1の落馬と言えば
2008エリザベス女王杯のポルトフィーノ(3番人気)ですかね。
2002菊花賞1番人気のノーリーズンも記憶によく残っています。
落馬での骨折で休養というもの
最近、多いような気がします。
今週のダービーでは、リーチザクラウンに騎乗しますが
事故もなくレースを終えてもらいたいものです。
そこで落馬の歴史をまとめてみました。
以下『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用しています。
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日本の競馬
1956年日本ダービー - 重馬場の上に27頭立てという事もあり、外枠の有力馬キタノオー・ヘキラクが早めに有利なポジションを確保しようと内に馬体を寄せた結果、1コーナーで馬群が内側に詰まり混乱が発生。その中で行き場を失った内枠のエンメイとトサタケヒロが落馬、故障を発症したエンメイは予後不良。鞍上の阿部正太郎も騎手としては引退に追い込まれる瀕死の重傷。エンメイの馬主であった作家の吉川英治は大きなショックを受け、競馬の世界から離れる事となる。
この事故がきっかけとなり、日本中央競馬会は事故防止委員会を設立した。また、事故調査委員会も開かれ、6月の梅雨による馬場の悪化の影響を指摘。それ以降のダービーについて、『5月の最終日曜日に実施する』という原則を発表した。加えて、それまで障害競走のみで使用されていたヘルメットを平地競走でも導入することとなった。
1967年日本海ステークス - 当時全盛期を迎えていた加賀武見騎乗のメジロカンゲツが、残り100メートルで骨折転倒。幸運にも故障したカンゲツの下敷きは避けられたものの、アクシデントによる負傷戦線離脱が尾を引き、この年の全国リーディングを関西所属の高橋成忠に奪われる。
1967年阪神大賞典 - 1965年のダービー馬キーストンが最後の直線で故障、騎手が落馬。予後不良となる程の重傷を負いながらも、失神している山本正司騎手を気づかう様な仕種を見せたキーストンの姿は、後々までの語り種になっている。
1969年日本ダービー - 嶋田功騎乗の1番人気タカツバキがスタート直後に落馬。この屈辱的アクシデントが原動力となり、日本ダービー開催コース・東京2400メートル攻略に腐心した結果、後に嶋田は東京2400メートルで行われるオークス3連覇(1972~1974年)をやってのける事となる。
1973年高松宮杯 - 先頭を走っていた2番人気ハマノパレードが最後の直線で転倒。致命的な負傷を負ったハマノパレードは、レース後即座に安楽死とならず食肉業者に売り飛ばされると言う悲劇に巻き込まれる。
この事件以降、予後不良となった馬は手続き終了後、即座に薬殺される様になった。
1974年京都牝馬特別 - 2番人気キシュウローレルが第4コーナー手前で骨折転倒。このアクシデントのあおりをまともに受けた1番人気イットーは、転倒したキシュウローレルに接触した際に負傷したことが仇となり馬群に沈んだため大波乱。この負傷が元で、イットーはビクトリアカップ挑戦断念を余儀なくされた。
1985年中山大障害(春) - 名物の大竹柵障害で、出走馬10頭中スマッシングダイナ、ダイナドルフィン、エイティレオ、ナックルフォンテン、バウンスポート、オキノサキガケの6頭が一挙に落馬、完走したのは半数以下の4頭だった。
1985年札幌日経賞 - 2番人気ギャロップダイナ(東信二)がスタート直後に落馬。因みに、同馬は落馬後も何事も無かったかの様に走り続け、鮮やかな好位差しで“1着入線”を果たし、この年の年末スポーツ特番の格好のネタとなっている。
1987年有馬記念 - 3番人気メリーナイス(根本康広)がスタート直後に落馬。1番人気サクラスターオーもレース中に故障を発症して競走を中止し大波乱。
1993年京阪杯 - ワイドバトル(山田泰誠)がスタート直後に落馬。同馬は落馬後も何事も無かったかの様に走り続け、1着馬より先に入線した。
1993年日本ダービー - マルチマックス(南井克巳)がスタート直後に落馬。
1995年宝塚記念 - ライスシャワー(的場均)が第3コーナーの坂の下り(この年は京都競馬場で開催)で故障を発生し落馬。同馬は予後不良。
1997年マイルチャンピオンシップ - タイキフォーチュン(柴田善臣)がスタート直後に落馬。
1999年京都ハイジャンプ - 最初の障害でメイショウデンセツが落馬したのを皮切りに、3つ目の障害でマジックサークル、14個目の障害でイチバンリュウ、16個目の障害でリンクローレルとクラウドクロス、さらに最終障害でロングイカロスとポリッシュボーイの計7頭が落馬、完走したのは半数以下の6頭だった。
2000年皐月賞 - ラガーレグルス(佐藤哲三)スタートと同時にゲート内で立ち上がり、騎手を振り落として競走を中止。
2001年中山グランドジャンプ - 向正面の2号坂路(バンケット)の下りで、ランスルーザターフが脚を滑らせて転倒、これに後続のチアズニューパワー、コバノスコッチ、ランドが巻き込まれて落馬。なお、ランドは再騎乗して完走した。
2001年京都大賞典 - ナリタトップロード(渡辺薫彦)が最後の直線でステイゴールド(1位入線も失格)とテイエムオペラオー(2位入線→繰り上がり1着)に挟まれ落馬。ステイゴールドの斜行によるもの。
2002年菊花賞 - 1番人気のノーリーズン(武豊)がスタート直後に躓き落馬した。
2002年東海菊花賞 - レジェンドハンター(安藤勝己)がスタート直後に落馬。
2003年阪神スプリングジャンプ - 4つ目の障害でロングランニングが落馬したのを皮切りに、7つ目の障害でタガノツヨシ、12個目の障害でビッグハンター、メジロライデン、およびチアズシャイニングが、さらに13個目の障害でベストウォリアが落馬し、完走したのは8頭だった。
2007年1月27日1回東京開催1日目 - 計3レース連続して9頭の落馬事故が起こった。2レースの3歳未勝利戦(ダート2100m)でクリフバニヤン(武豊)が最後の直線で故障を発症して落馬競走中止、これにアロハスタイル(オリビエ・ペリエ)とゴールドリヴァー(佐藤聖也)が相次いで接触して落馬し競走中止した。佐藤騎手は落馬の影響で土日の騎乗を変更、クリフバヤニンは左第3中手骨開放骨折で予後不良になった。3レースでは同じく3歳未勝利戦(ダート1600m)にてハッピーパヒューム(木幡初広)が第4コーナーで馬体故障のため転倒し競走を中止、同馬に触れたセトウチハート(柴田善臣)とスガノロイヤル(柴山雄一)も落馬して競走中止。2頭が落馬した後ナミノオト(吉田隼人)が先に落馬したセトウチハート号に触れ落馬して競走中止。ハッピーパヒューム号は左下腿骨開放骨折で予後不良になり、騎乗していた木幡騎手とセトウチハート号騎乗の柴田騎手が落馬の影響で土日の騎乗を取りやめにした。4レースにも障害未勝利戦(障害3000m)にてオンワードワンダー(沢昭典)が4号障害で、ブラッドシフト(黒岩悠)が2週目の6号障害でそれぞれ落馬した。余談だが、この日は10レースでもドラマチックテナー(オリビエ・ペリエ)が故障して落馬、競走を中止した。
同じ日の小倉で2頭、1月28日の東京で2頭、小倉でツルマルボーイの全妹であるツルマルオジョウが4レース新馬戦で1着入線後落馬した。2日間で14頭落馬した事になる。
2008年エリザベス女王杯 - 3番人気のポルトフィーノ(武豊)がスタート直後に躓き落馬した。同馬は落馬後も何事も無かったかの様に走り続け、1着馬より先に入線した。なお、武豊は史上初のGI級のレースで同一騎手が2回もスタート直後に落馬した騎手となってしまった(2002年菊花賞、2008年エリザベス女王杯)。
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